私のコトバ

自分の内なる声をコトバにして記録します。

2022.2.19【テレビ番組】The Great British Sewing Beeの良さ

この番組の何が私を魅了するのか。引き続き、連日ソーイング・ビーを見ながら考えている。

なんと言ってもこの番組は「温かい」のだ。コンペである以上、競争心はお互いにあるのだろうが、それをあまり感じさせない。番組構成の演出もあるのかもしれないが、私にはそうは映らない。毎回、皆の頑張りを全員で称えて評価を受ける。決勝の最後の発表時に、参加者ぎ再度集まり発表を見守るのも、本当の微笑ましい。

また、司会者のClaudia Winkleman、彼女がとってもいいのだ。参加者かわ課題に取り組んでいる間に声かけをするのだが、ウィットの効いたジョークを交えたり、落ち込む参加者には励ましの言葉を投げ掛けたり。雰囲気や状況に応じたコメントが、なんとも言えず、参加者たちとのほどよい距離感を保ちながら、よい関係性が築かれていることが伝わってくる。

究極の趣味の探求と、それを通じた仲間作りと学び。そんな温かい番組の取り込みだ。

さて、シーズン3の決勝。誰が優勝するかな。

 

2022.2.18【新聞より】価値観の変化

今朝の朝日新聞朝刊に「学歴分断を超えて」とあった。学校教育に長く携わっている者として、興味深く読ませて頂いた。現代社会が抱える大きな問題の一つである。

 

昭和に生まれ、高度経済成長期真っ只中に幼少期を過ごしてきた私は「三高」世代だ。3つの「高い」がトレンド、だった。1.高学歴 2.高収入 3.高身長 

学歴分断の考えからすると、1と2は相関があり「3つ」に分けるべきでない要件になるのだろうが…

当時を思い出してみると、学歴=高収入 ばかりではなかったように思う。成り上がって財を得ていた、ガツガツ、ギラギラした人がたくさんいたよね。学歴社会への対抗意識だとかハングリー精神だとか。そう、熱気があって、熱いヤツもたくさんいたのよ。

現代における「学歴」を取り巻く見方、考え方、意識、目…そうしたものも、以前のそれとは異なっているということなのかな。時代と共に変わり行く価値観の現れの一つなのかもしれない。「価値観は変わる」ってやつね。

「学歴の分断」から、そんな風に思った次第で。

2022.2.17【春の便り】家の梅が咲いた

今年85歳になる父から突然のLINE。こちらが送ったことへの返信が主なのだが、最近続けて彼からのも発信で連絡がある。先日のバレンタインデーがそう。

「只今チョコ🍫届きました!🎶有難う御座います❕早速頂きました!‼️」(まま)

なかなかやるねぇ。絵文字も入れて、精一杯なんだろうと悪戦苦闘の様子が目に浮かんだ。

昨日はこんなことを送ってきた。

「家の紅梅が咲いたので一輪卓上にいけた🎶春近し‼️」

続けて「写真の送り方がわからん」と。画像説明を付けて指導⁉️したけど、結局は携帯メールで送られてきた。その方がやはり馴染みがあるんだね。
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春の訪れを知らせてくれて、ありがとう。

 

 

2022.2.16【テレビ番組】The Great British Sewing Bee

テレビのチャンネルを変えているときに「ソーイングビー4」が目に入った。何だか面白そう、と見入ったが、次回予告の直前でほとんど終わりの頃。NHKで放送中、次回が決勝らしい。

ということで、動画配信サイトに頼り、シーズン2を視聴中。

イギリス英語が心地よく、時折裁縫に纏わる歴史の紹介がある。これがなかなか興味深くて面白い。

プロジェクトランウェイはデザイナー発掘だからセミプロ以上の人の闘いだけど、この番組は素人が競う。型紙通りにいかに上手く仕上げるか、が評価の基準になる。趣味の域を出ない人たちが裁縫技術を競う。

共通しているのは、皆裁縫が好きなことだ。「好き」の追求だ。「番組を見ている人に裁縫してみようかと思ってほしい」と出場者の一人が何度か語っている。自分が愛するものを伝えたい、広めたい、これだよね…

今、私に必要な番組に出逢えたことに感謝。しばらくはソーイングビーにはまってみよう。

 

2022.2.15 【バレンタインデー】

昨日はバレンタインデー。

このイベント、年々陰りが出てきてるのか?

バブル世代の私なんかは、バレンタインイベントを大いに謳歌している。

中学や高校の頃、好きな男の子へ想いを伝える術としてはもちろん、職場のおじサマ達への義理チョコ配り。デパートのチョコレート特設会場へ勇気を持って乗り込み(買うのも争奪戦のような状況だったことも)。バブル期は、とにかくおじサマ達からのお返しがすごかった。何倍返しだったろうか…(今じゃ考えられないけど)

そんなこんなで年に一度のお祭りに、前向きに取り組み、能動的に参加し続けている。

2022年のバレンタイン参加は、以下の通り。

①親しい友人宅へお礼を兼ねて送った

②実家へ父宛に送った

③職場の同僚(女子)、お世話になってる人(男子)に渡した

④ダンナにあげる名目で、自分が贅沢して食べたいチョコを自宅用に買った(もちろん最初に自分が食べた)

 

驚いたのが、職場で配る雰囲気が全くなかったこと。5月に転職したところなので、この職場の初バレンタインだったのだけど、誰もそんなことはやってない感じだった。何だかちょっと寂しい。かなり、自己満足のためなので、そういう雰囲気の中、渡したい人に渡すことはできたので良しとしておこう。

 

自分なりの解釈でイベントを楽しむ。

 

 

 

2022.2.14【北京オリンピック】

夏に地元(日本)でオリンピックがあったことなど、すっかりどこへやら。たった半年前なのに。何を見たんだったか、何で盛り上がってたんだか、ちっとも思い出せない。もう少し誰かと話したりすれば思い出すのかもしれないけど。

現在、冬のオリンピックが開催中。以前より関心を持って連日夜はテレビで観戦している。

上手く言えないけど、「見方が変わった」感じ。自分なりに楽しめているというか。好きな時に見て、飽きたらテレビから離れて。

そんなの普通。当たり前じゃん。

そう言われるかもしれないけど、当たり前が出来てなかったかも。そんな感じ。

夏のオリンピックのほうがメジャーで冬季はマイナーな感じがあったけど、逆転まではいかないけど、何だかそんな先入観が消えていった感覚。

何だかちょっと違う2022冬季五輪。私にとって。

 

 

2022.2.14【返信から】

恩師に「お礼と報告」のメールを送った。転職に関する照会先にとのお願いをしていたので。

いつも直ぐに返信をくださるのだが、その時はなかった。良い結果報告ではなかったので、「こういう場合は聞き流しておくものなのかも」などと思っていた。なぜなら、別の方にも同様のお願いをし、同様にメールを送っていて、やはり返信はなかったから。

そうして2日経った夜中、メール着信が鳴った。

先の恩師からの返信だった。

「あぁ、やっぱり私が思っている通りの人だ」そう感じた。内容も、やっぱり「思っていた通り」というか、期待を裏切らないというか、心を温かくしてくれるものだった。ぶっきらぼうな書き方ではあるが。

その恩師との距離感、自分と相手が感じている距離感に差がとっても少ないのだろうな、そう思った。

相手との距離感。

自分が相手に対して思うものと、相手が自分に対して思うものと違うから、気持ちのすれ違いが起こる。この「距離感に差異が少ない人」は、たくさんはいないけれど、私には何人かいる(と私は信じている)。

それを感じられる相手との関わりがあった時、とてつもなく幸福だと私は感じる。